サギ・菓子・京都話などなど☆
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光台寺桜門付近の梅。
ここまで来るには、ちょっとした坂道でした。
坂のレベルではかなりちがいますが、なんとなく尾道あたりと雰囲気が似ている気がしました。
同じ瀬戸内だからかな。
瀬戸内といえば、柳井までに来る電車の中から見た海の色が、竹喬の絵にある海の色とほぼ同じことにびっくりしました!
一瞬で通り過ぎましたが、(ここに、小貝の浜は在ったのか・・・)と思いましたです。
楼門反対側の海手の方に国木田独歩旧宅がありましたが、雨の中で人もおらず、なんだか寂しいかんじでした。
でもよく手入れがされていて、独歩はこの町の人たちに好意を持たれている気がしました。
6月には独歩忌なども催されているそうです。
あと、“むろやの園”という商家博物館にも立ち寄りました。
元禄期から明治まで続いた商家ですが、今までで一番江戸時代の生活の様子がよくわかりましたです。
柳井に行ってきました。
片道電車で2時間でした。
写真は、商工会館の休憩所に吊ってあった金魚ちょうちん。
このとぼけた表情が好きです。
金魚ちょうちんの由来ですが、明治期に染物屋さんが青森県のねぶたをヒントに作り、戦後、柳井から少し離れた大島の人が復活させたものだそうです。
白壁の街並みが残る小路では“花香遊”というイベントが催されていましたが、そこここでボーイスカウトの少年少女達が震災への義援金募金をよびかけていました。
露天でも、売上が義援金になる鯛焼きなどが販売されてまして、(この町はちゃんとしているというかたいした町だなぁ)と感心しました。
↑は、“金魚ちょうちんの灯りの館”に展示してあった元祖金魚ちょうちん神輿。
たしかに、ねぶた感がありますね~。
見えにくいですが、マンホールのフタにも金魚ちょうちん。
片道電車で2時間でした。
写真は、商工会館の休憩所に吊ってあった金魚ちょうちん。
このとぼけた表情が好きです。
金魚ちょうちんの由来ですが、明治期に染物屋さんが青森県のねぶたをヒントに作り、戦後、柳井から少し離れた大島の人が復活させたものだそうです。
白壁の街並みが残る小路では“花香遊”というイベントが催されていましたが、そこここでボーイスカウトの少年少女達が震災への義援金募金をよびかけていました。
露天でも、売上が義援金になる鯛焼きなどが販売されてまして、(この町はちゃんとしているというかたいした町だなぁ)と感心しました。
↑は、“金魚ちょうちんの灯りの館”に展示してあった元祖金魚ちょうちん神輿。
たしかに、ねぶた感がありますね~。
見えにくいですが、マンホールのフタにも金魚ちょうちん。
今日は予定通り、柳井という所へ日帰りで行ってきます。
柳井について知っていることといえば、とりあえず“金魚ちょうちん”と“国木田独歩”に関係があるらしいことぐらいしか情報はありませんが…
柳井について知っていることといえば、とりあえず“金魚ちょうちん”と“国木田独歩”に関係があるらしいことぐらいしか情報はありませんが…